2010年11月8日月曜日

シノザキ総合音楽院/シノザキロゴスアカデミー情報誌 平成22年11月号「人と出逢い、音と出逢う」掲載

今年2010年は「国民読書年」だそうです。これは、2年前に国会で決議された「国民読書年に関する決議」において定められました。その決議には、「読書の街づくりの広がりや様々な読書に関する市民活動の活性化など、読書への国民の意識を高めるため政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねる」と宣言されています。国をあげて努力がされているかどうかはともかく、読書離れがすすんでいる日本人が本を読むことの大切さに気づくようになるならば、それは大変歓迎すべきことでしょう。

寺山修司の『本を捨てよ、町へ出よう』が出版されたのが1967年だそうですが、その当時は大学紛争・全共闘の時代、知的エリートたちに「本を捨てよ」と本で呼びかける必要があった時代でした。さて、現代はどうでしょうか。頭でっかちなガリベン君にかける言葉は「本を捨てよ」ではなくなりました。むしろ「本でも読みなさい」でしょう。知的なもののシンボルは本からインターネットへと移り変わり、読書ですらキンドルやiPadといったコンピューター上のディバイスによって行なう時代になりました。

読書は人間の知的活動における最も基礎的な作業です。本は、主観的で幅の狭い実体験以外の世界に触れることを通じて、客観的で幅の広い経験をすることが出来る場所です。読書の形態が、紙でできた書籍からパソコンの画面上のデータに変わっても、この本の役割は変わりません。現代の日本人は、昔に比べて読書はしなくなったかも知れませんが、活字を読む分量はそれほど減っていないような気がします。何が違うかと言えば、それは濃厚な読書体験の多寡でしょう。現代の私たちは、たくさんの情報を読んでいるわけですが、圧倒的な言葉の魅力に触れる体験というのは、無くなって来てはいないでしょうか。

読書やその本の中の言葉は、情報伝達の手段であると同時に、それ自体を目的として行なう一つの経験です。溢れ返る言葉による情報は、言葉や読書の価値を相対的に薄めてしまい、その結果、言葉による知的活動の重要性を貶めてしまっているように思われます。国民読書年もあと2カ月で終わります。一人でも多くの国民が、単なる情報ではない読書の経験が出来るか、それは、その人の生き方に影響を与えるような良書に巡り会えるかどうかにかかっています。本との出逢いは、人との出逢いと同じくらい大切なことかもしれません。良い本は、人から勧めてもらうのがよいでしょう。音楽も読書も「人との出逢い」から始まります。

エコール麹町メディカル塾長/シノザキロゴスアカデミー(真岡教室)室長 
原田 広幸