2011年4月4日月曜日

【医学部合格体験談】理系科目ゼロからのスタート 1年半の受験勉強で最終合格!

小野真央さん

【愛媛県出身。セントアンドリュースカレッジ高校卒。帰国子女推薦で入学したICUを2年次で中退し、エコール麹町メディカルに入塾。東京女子医科大学医学部、聖マリアンンナ医科大学医学部、東京医科歯科大学歯学部に最終合格。】

私は中学卒業後の4年間を海外の高校で過ごしました。高校生活はそれなりに楽しく充実した日々でしたが、卒業を目前にして「医師になりたい」と思ったときに私がおかれていた状態では、日本の医学部を受験して合格することなど、とても不可能でした。

そのような事情もあり、私は医学部受験を諦め、「帰国子女枠」でICU(国際基督教大学)へ入学しました。ICUでは、周囲の学生も教授の先生方のレベルも非常に高く、勉強の内容も非常に楽しく充実していましたが、やはり「医師になりたい」という気持ちがしこりのように胸に残っていました。同級生が皆しっかりとした将来の目標を持って学問に励む中で、私は「このまま挑戦せずに終われば必ず後悔する」と思い、思い切って大学を中退しました。

そしてエコール麹町メディカルの門をたたきました。初めて原田塾長と瀬戸教室長にお会いした時のことは今でも鮮明に思い出すことが出来ます。8月でしたので、予備校の新学期が始まってから半分が過ぎた時期でした。こんな中途半端な時期に、医学部受験のことを全く知らないままやってきた私に、お二人は今の医学部受験の現状を大変丁寧に説明してくださり、「決して簡単な道ではないが、しっかりと対策を立てて勉強すれば一年半での合格も十分可能だ」と背中を押してくださいました。この予備校を選んだ理由はいくつもありますが、決定打となったのは「この先生たちについていけば、間違いなく合格までの道を歩むことができる」と信じることができる理念と熱意を持っていらしたからです。このようにして、いよいよ私の予備校生活が幕を開きました。

得意の英語をどう生かしたか

海外生活の経験があったことで元々英語の成績はよく、入塾の時期に受けた初めての模試でも偏差値は60を超えていました。しかし、実質「未履修」の状態から始めることになる理数科目で苦労をすることを想定して(事実、大変苦しみました)、英語を確実な得点源とし、他の受験生と差をつけるために、英語の授業には入塾と同時に平均して週8コマ(16時間)程度参加していました。

瀬戸先生は、点数がとれることで慢心してしまい“感覚”のみを頼りに英語を解いてしまう癖の抜けない私の「文法ができない」という致命的な弱点を始めから見抜いて指摘してくださり、文法のみの個別授業を設定してくださいました。倉林先生には入塾した年の9月頃からおよそ8ヶ月間、個別指導で文法を教えて頂きました。

原田塾長が担当する英文購読の授業で英文を理論的に解釈して読むという技術を身に付けることができました。バートランド・ラッセルやマイケル・サンデルの原著を読むというのは、英語力をつけるという意味で大変素晴らしいメソッドであったと思います。理論哲学や政治哲学を学び教養も広がりましたし、抽象的な概念を具体的に考えることの重要性や、論証の技術を実地で学ぶことができ、英語だけでなく小論文や2次試験のディベートにも大いに役立ちました。ちなみに、受験勉強ばかりでつかれていた私にとって哲学の原著を英語で読む塾長のゼミは、真の意味での「スコレー」(良い息抜き)にもなりました。

この他にもほとんどすべての講師の方々に英語を教えて頂きましたが、違う観点から様々なアプローチで教えてくださるので、英語への興味は増すばかりでした。事実、麹町メディカルに入塾してから英語の成績は伸びる一方で、最終的な偏差値は平均して75程度にまで達していました。教室長が入塾当初に提案してくださったように、まさしく「英語を確実な武器にする」ことが叶ったのです。これによって本番前の3か月は勉強時間のほとんどを理数科目に充てることが可能になり、精神的負担がだいぶ軽くなりました。

最後まで苦労した数学

初めて模試を受けた時にもっとも衝撃を受けたのが数学です。問題の意味すら全くわからず、手をつけることが出来ないのです。マーク模試でしたので、適当にマークをし、結果偏差値は30にも届きませんでした。日本の高校の数学は全くの別物…という認識はもちろんありましたが、それでもこれは予想外でしたし、大変な衝撃を受けました。

全く白紙の状態から数学をスタートしたため、最初はゼミには参加せずにプライベート授業とセミプライベート授業を中心に学習を進めていきました。結果、医学部受験に必要なすべての範囲を、入塾してからわずか8ヶ月あまりで教わることができ、入塾した翌年の4月にはゼミに加わることが可能になりました。

河本先生には最初から最後までずっとプライベート授業を受け持って頂きました。丁寧でわかりやすい板書をしてくださるので、河本先生の授業でとったノートは随所で役に立ちましたし、大学入学後も大切に使用するつもりです。また、勉強のやり方があまりよくわからず、いろいろな参考書に手を出しがちだった私に、「一つの参考書を最後までしっかりとやり抜く」ということを教えてくださいました。

また、佐藤先生にも1年半を通して大変お世話になりました。佐藤先生は1つの問題を解く方法だけでなく、その問題の背景にあるものや、“裏ワザ”とでもいうべき解き方など、大変深くまで数学を教えてくださいました。特に、秋期に開かれた佐藤先生担当のスペシャルゼミでは、ベクトルや図形など受験生が苦手とする分野を徹底的に教えてくださいました。お二人のほかにも、内海先生と安久津先生と、数学科のすべての先生にお世話になりました。授業時間外の質問にも大変丁寧に答えてくださり、思うように成績が伸びずに苦心している時に道を示してくださいました。

最終的な成績は、調子が良くて50を少し超える程度しかありませんでしたが、それでも問題の意味すらわからず1時間ただ座っていただけだった最初の頃と比べると、躍進を遂げたと言っていいと思っています。得点源とはならなかったものの、他の教科の足をひっぱらない程度にまで成長したのは、ひとえに数学科の先生方のご指導によるものです。

生物も得点源に 躍進した理科

英語の次に得点源となったのは生物です。1年半を通して生物を受け持って頂いた三宅先生の授業は全て豊富な知識に裏付けされており、よもすれば“暗記する教科”だと思いやすい生物が“考えて答えを導き出す教科”であることを教えてくださいました。「暗記は必要最低限に。生物は全て理論的に覚えられる」ということを学び、未履修状態からスタートした生物の偏差値が教わって半年程度で安定して60を超えるまでに至りました。入試直前期の生物の冬期講習は、考察問題を中心に解く演習の時間や幹細胞や環境問題などの“最新のトピック”を扱ったゼミなど、生物を専門的に研究されてきた三宅先生にしか出来ないと言っても過言ではないほどハイレベルな授業ばかりでした。自分が1年半死にもの狂いで学んだことが、医学部入学後も確実に生きてくることを実感でき、自信に繋がりました。

化学に関しては、入試直前の10月頃になるまで成績は伸びませんでした。こんな状況を見かねて、瀬戸先生は「OBの医学生によるプライベート授業を受講してみないか」と提案してくださいました。こうして、OBのYさんに8月から5か月間化学を教わることになりました。Yさんはご自身も全教科ほぼ未履修の状態から受験勉強を開始し、2年で医学部正規合格にたどり着いた経歴の持ち主でしたので、思うように成績が伸びない苦しみや「勉強がわからない」というつらさを理解してくださいました。また、勉強時間や勉強の方法、私生活へ対するアドバイスもしてくださいました。要点をしっかりと押さえ説明してくださり、課題も与えて頂いたので、苦手な化学から逃げることなくコンスタントに勉強することが可能になりました。Yさんの授業を受講し始めてからおよそ1か月後のマーク模試では、いっきに偏差値が50を超え、飛び上がるほど喜んだのを憶えています。最終的には偏差値が60を超えるに至りました。

完璧にした2次試験対策

医学部受験でものを言うのは、何も1次の学科試験だけではありません。事実、聖マリアンナ医科大学の1次試験は手ごたえからしてかなりギリギリのラインでの通過であったと感じていますが、小論文と面接対策をしっかりと行なっていたお陰で、2次試験で大幅な得点を稼ぐことができ、最終合格に漕ぎ着けたのだと分析しています。

麹町メディカルでは小論文・面接対策にも力を入れており、週に2時間、塾長による小論文の対策授業が行われていました。この授業は、ただ“小論文の書き方”という画一的なことを教えるのではなく、哲学や倫理という観点から時事問題を読み解き、医療倫理から環境問題まで幅広く焦点をあて、塾生同士で徹底的にディスカッションをしていくという大変実用的なものでした。文系出身の私にとってこの授業は得意分野を伸ばし受験に生かすための大きな役割を果たしていました。毎週原田塾長の下で厳密な議論を積み重ねていたお陰で、聖マリアンナの2次試験での1時間にも及ぶ集団討論の時間にも全く気負いすることなく、冷静に自分の意見を述べ、他の意見を聞き入れることができました。

あの時を乗り越えてよかった!

このようにして合格までたどり着いたわけですが、途中何度も挫折しそうになったこともあります。もともと考え込みやすい性格だったことが災いして、5月の駿台模試を皮切りに、どんどんと悲観的になり、ふさぎ込んでしまいました。年が明け、「お試し」で第一志望の医学を受験したころから、「このままで間に合うのだろうか」という漠然とした不安は常に付きまとっていました。数学は勉強時間に反して全く点数に結びつかず、生物も頭打ちで、化学に至っては勉強することから逃げていました。入試本番まで8ヶ月と少し、その時点で数学と化学の2教科共に偏差値が50を満たしていませんでした。

21歳という自分の年齢や、大学生と高校生の妹がいることを考えると、もう1年浪人することが正しいこととは思えない。第一、もう1年勉強したから受かる保証はどこにもない……かといって、このまま受験をやめたところで、どうすればいいのかわからない。一人暮らしということもあり、毎日そのようなことを悶々と考えていると、気付けば勉強時間は以前の半分以下になっていました。

いよいよ居た堪れなくなった私は、瀬戸教室長に連絡をして、6月についに帰省することを決意しました。周りがどんどん力をつけていく時期の帰省、今考えても大変な痛手であったとは思いますが、その時はただただ精神的につらく、実家に戻ることしか考えられませんでした。こうして何の連絡もせず突然帰省した私を、両親は思いのほか温かく迎え入れてくれました。

逃げるようにして実家に戻った私を、瀬戸先生は責めることはしませんでした。それどころか、なんと、お忙しい中はるばる私の実家(愛媛県)まで飛行機とレンタカーを乗り継いで、お話をしに訪ねてくださったのです。瀬戸先生は私と両親に私の成績の移行をまとめた資料を見せてくださり、思うように伸びないと苦しんではいるが、着実に力をつけてきていること、このまま頑張り続ければ合格は十分に可能であると仰ってくださいました。しかし、それでも無理に帰京を勧めるようなことはされませんでした。今思えば、私を信じてくださっていたのだと思います。その後、私は両親と話し合い、結局帰省から1か月後に東京に戻りました。気持ちを新たに受験勉強の再開することを決意したのです。

もちろん、その後も気持ちのアップダウンはありました。一度帰省したことで途切れてしまった“受験生の生活リズム”を取り戻すのはなかなか大変で、気が付けば半日何もしていない日や、映画ばかり見ていた日もあったほどです。

しかし、途中入塾してきたWさんの短期決戦に燃える情熱と集中力に刺激され、また自分より年下の塾生が「今年が最後の挑戦」と強い覚悟を持ってわき目もふらずに勉強している姿を目の当たりにして、自分の覚悟の足りなさを痛感し、自分もこれではいけないと改めて気持ちを奮い立たせました。月に一度か二度、他の塾生と食事に行き、お互いの不安を吐露し鼓舞し合ったことも、私の精神面を大きく支えてくれました。このように、様々なバックグラウンドを持った受験生を受け入れている麹町メディカルであったからこそ出会えた人々との交流を通して、人間として成長できた部分も多くあります。

それでも、受験直前までトラブルは続きました。海外からの証明書の不備で、いくつかの医学部受験が絶望的な状態に追い込まれた時に、原田塾長は大学の入試課に直接交渉してくださり、ニュージーランド大使館に卒業を証明する書類を発行してもらうために奔走してくださいました。そんな中で私立医学部の入試が始まり余裕のない状態の私に、「こちらで絶対に受験できるようにするから、何も気にせず勉強に集中してください。」と言ってくださいました。

瀬戸先生は私が第一志望の大学に落ちてしまった日に眠れずに送ったメールを見て、深夜にもかかわらず電話をかけてくださいました。電話越しに泣いてしまった私に、「今諦めたらそれで今年の受験は終わってしまう。最後まで頑張りなさい。」と激励の言葉をかけてくださいました。

最後に、私の医師になりたいという気持ちを理解し、精神面と金銭面の両方で私のことを支えてくれた両親と、塾長・教室長を始めとするエコール麹町メディカルで出会った先生方、事務局の皆さん、塾生の皆さん、全ての方々に、心から感謝を述べたいと思います。これからは、OGとして皆さんと関わりを持っていきたいと思っています。

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