2011年4月4日月曜日

【医学部合格体験談】理系科目ゼロからのスタート 1年半の受験勉強で最終合格!

小野真央さん

【愛媛県出身。セントアンドリュースカレッジ高校卒。帰国子女推薦で入学したICUを2年次で中退し、エコール麹町メディカルに入塾。東京女子医科大学医学部、聖マリアンンナ医科大学医学部、東京医科歯科大学歯学部に最終合格。】

私は中学卒業後の4年間を海外の高校で過ごしました。高校生活はそれなりに楽しく充実した日々でしたが、卒業を目前にして「医師になりたい」と思ったときに私がおかれていた状態では、日本の医学部を受験して合格することなど、とても不可能でした。

そのような事情もあり、私は医学部受験を諦め、「帰国子女枠」でICU(国際基督教大学)へ入学しました。ICUでは、周囲の学生も教授の先生方のレベルも非常に高く、勉強の内容も非常に楽しく充実していましたが、やはり「医師になりたい」という気持ちがしこりのように胸に残っていました。同級生が皆しっかりとした将来の目標を持って学問に励む中で、私は「このまま挑戦せずに終われば必ず後悔する」と思い、思い切って大学を中退しました。

そしてエコール麹町メディカルの門をたたきました。初めて原田塾長と瀬戸教室長にお会いした時のことは今でも鮮明に思い出すことが出来ます。8月でしたので、予備校の新学期が始まってから半分が過ぎた時期でした。こんな中途半端な時期に、医学部受験のことを全く知らないままやってきた私に、お二人は今の医学部受験の現状を大変丁寧に説明してくださり、「決して簡単な道ではないが、しっかりと対策を立てて勉強すれば一年半での合格も十分可能だ」と背中を押してくださいました。この予備校を選んだ理由はいくつもありますが、決定打となったのは「この先生たちについていけば、間違いなく合格までの道を歩むことができる」と信じることができる理念と熱意を持っていらしたからです。このようにして、いよいよ私の予備校生活が幕を開きました。

得意の英語をどう生かしたか

海外生活の経験があったことで元々英語の成績はよく、入塾の時期に受けた初めての模試でも偏差値は60を超えていました。しかし、実質「未履修」の状態から始めることになる理数科目で苦労をすることを想定して(事実、大変苦しみました)、英語を確実な得点源とし、他の受験生と差をつけるために、英語の授業には入塾と同時に平均して週8コマ(16時間)程度参加していました。

瀬戸先生は、点数がとれることで慢心してしまい“感覚”のみを頼りに英語を解いてしまう癖の抜けない私の「文法ができない」という致命的な弱点を始めから見抜いて指摘してくださり、文法のみの個別授業を設定してくださいました。倉林先生には入塾した年の9月頃からおよそ8ヶ月間、個別指導で文法を教えて頂きました。

原田塾長が担当する英文購読の授業で英文を理論的に解釈して読むという技術を身に付けることができました。バートランド・ラッセルやマイケル・サンデルの原著を読むというのは、英語力をつけるという意味で大変素晴らしいメソッドであったと思います。理論哲学や政治哲学を学び教養も広がりましたし、抽象的な概念を具体的に考えることの重要性や、論証の技術を実地で学ぶことができ、英語だけでなく小論文や2次試験のディベートにも大いに役立ちました。ちなみに、受験勉強ばかりでつかれていた私にとって哲学の原著を英語で読む塾長のゼミは、真の意味での「スコレー」(良い息抜き)にもなりました。

この他にもほとんどすべての講師の方々に英語を教えて頂きましたが、違う観点から様々なアプローチで教えてくださるので、英語への興味は増すばかりでした。事実、麹町メディカルに入塾してから英語の成績は伸びる一方で、最終的な偏差値は平均して75程度にまで達していました。教室長が入塾当初に提案してくださったように、まさしく「英語を確実な武器にする」ことが叶ったのです。これによって本番前の3か月は勉強時間のほとんどを理数科目に充てることが可能になり、精神的負担がだいぶ軽くなりました。

最後まで苦労した数学

初めて模試を受けた時にもっとも衝撃を受けたのが数学です。問題の意味すら全くわからず、手をつけることが出来ないのです。マーク模試でしたので、適当にマークをし、結果偏差値は30にも届きませんでした。日本の高校の数学は全くの別物…という認識はもちろんありましたが、それでもこれは予想外でしたし、大変な衝撃を受けました。

全く白紙の状態から数学をスタートしたため、最初はゼミには参加せずにプライベート授業とセミプライベート授業を中心に学習を進めていきました。結果、医学部受験に必要なすべての範囲を、入塾してからわずか8ヶ月あまりで教わることができ、入塾した翌年の4月にはゼミに加わることが可能になりました。

河本先生には最初から最後までずっとプライベート授業を受け持って頂きました。丁寧でわかりやすい板書をしてくださるので、河本先生の授業でとったノートは随所で役に立ちましたし、大学入学後も大切に使用するつもりです。また、勉強のやり方があまりよくわからず、いろいろな参考書に手を出しがちだった私に、「一つの参考書を最後までしっかりとやり抜く」ということを教えてくださいました。

また、佐藤先生にも1年半を通して大変お世話になりました。佐藤先生は1つの問題を解く方法だけでなく、その問題の背景にあるものや、“裏ワザ”とでもいうべき解き方など、大変深くまで数学を教えてくださいました。特に、秋期に開かれた佐藤先生担当のスペシャルゼミでは、ベクトルや図形など受験生が苦手とする分野を徹底的に教えてくださいました。お二人のほかにも、内海先生と安久津先生と、数学科のすべての先生にお世話になりました。授業時間外の質問にも大変丁寧に答えてくださり、思うように成績が伸びずに苦心している時に道を示してくださいました。

最終的な成績は、調子が良くて50を少し超える程度しかありませんでしたが、それでも問題の意味すらわからず1時間ただ座っていただけだった最初の頃と比べると、躍進を遂げたと言っていいと思っています。得点源とはならなかったものの、他の教科の足をひっぱらない程度にまで成長したのは、ひとえに数学科の先生方のご指導によるものです。

生物も得点源に 躍進した理科

英語の次に得点源となったのは生物です。1年半を通して生物を受け持って頂いた三宅先生の授業は全て豊富な知識に裏付けされており、よもすれば“暗記する教科”だと思いやすい生物が“考えて答えを導き出す教科”であることを教えてくださいました。「暗記は必要最低限に。生物は全て理論的に覚えられる」ということを学び、未履修状態からスタートした生物の偏差値が教わって半年程度で安定して60を超えるまでに至りました。入試直前期の生物の冬期講習は、考察問題を中心に解く演習の時間や幹細胞や環境問題などの“最新のトピック”を扱ったゼミなど、生物を専門的に研究されてきた三宅先生にしか出来ないと言っても過言ではないほどハイレベルな授業ばかりでした。自分が1年半死にもの狂いで学んだことが、医学部入学後も確実に生きてくることを実感でき、自信に繋がりました。

化学に関しては、入試直前の10月頃になるまで成績は伸びませんでした。こんな状況を見かねて、瀬戸先生は「OBの医学生によるプライベート授業を受講してみないか」と提案してくださいました。こうして、OBのYさんに8月から5か月間化学を教わることになりました。Yさんはご自身も全教科ほぼ未履修の状態から受験勉強を開始し、2年で医学部正規合格にたどり着いた経歴の持ち主でしたので、思うように成績が伸びない苦しみや「勉強がわからない」というつらさを理解してくださいました。また、勉強時間や勉強の方法、私生活へ対するアドバイスもしてくださいました。要点をしっかりと押さえ説明してくださり、課題も与えて頂いたので、苦手な化学から逃げることなくコンスタントに勉強することが可能になりました。Yさんの授業を受講し始めてからおよそ1か月後のマーク模試では、いっきに偏差値が50を超え、飛び上がるほど喜んだのを憶えています。最終的には偏差値が60を超えるに至りました。

完璧にした2次試験対策

医学部受験でものを言うのは、何も1次の学科試験だけではありません。事実、聖マリアンナ医科大学の1次試験は手ごたえからしてかなりギリギリのラインでの通過であったと感じていますが、小論文と面接対策をしっかりと行なっていたお陰で、2次試験で大幅な得点を稼ぐことができ、最終合格に漕ぎ着けたのだと分析しています。

麹町メディカルでは小論文・面接対策にも力を入れており、週に2時間、塾長による小論文の対策授業が行われていました。この授業は、ただ“小論文の書き方”という画一的なことを教えるのではなく、哲学や倫理という観点から時事問題を読み解き、医療倫理から環境問題まで幅広く焦点をあて、塾生同士で徹底的にディスカッションをしていくという大変実用的なものでした。文系出身の私にとってこの授業は得意分野を伸ばし受験に生かすための大きな役割を果たしていました。毎週原田塾長の下で厳密な議論を積み重ねていたお陰で、聖マリアンナの2次試験での1時間にも及ぶ集団討論の時間にも全く気負いすることなく、冷静に自分の意見を述べ、他の意見を聞き入れることができました。

あの時を乗り越えてよかった!

このようにして合格までたどり着いたわけですが、途中何度も挫折しそうになったこともあります。もともと考え込みやすい性格だったことが災いして、5月の駿台模試を皮切りに、どんどんと悲観的になり、ふさぎ込んでしまいました。年が明け、「お試し」で第一志望の医学を受験したころから、「このままで間に合うのだろうか」という漠然とした不安は常に付きまとっていました。数学は勉強時間に反して全く点数に結びつかず、生物も頭打ちで、化学に至っては勉強することから逃げていました。入試本番まで8ヶ月と少し、その時点で数学と化学の2教科共に偏差値が50を満たしていませんでした。

21歳という自分の年齢や、大学生と高校生の妹がいることを考えると、もう1年浪人することが正しいこととは思えない。第一、もう1年勉強したから受かる保証はどこにもない……かといって、このまま受験をやめたところで、どうすればいいのかわからない。一人暮らしということもあり、毎日そのようなことを悶々と考えていると、気付けば勉強時間は以前の半分以下になっていました。

いよいよ居た堪れなくなった私は、瀬戸教室長に連絡をして、6月についに帰省することを決意しました。周りがどんどん力をつけていく時期の帰省、今考えても大変な痛手であったとは思いますが、その時はただただ精神的につらく、実家に戻ることしか考えられませんでした。こうして何の連絡もせず突然帰省した私を、両親は思いのほか温かく迎え入れてくれました。

逃げるようにして実家に戻った私を、瀬戸先生は責めることはしませんでした。それどころか、なんと、お忙しい中はるばる私の実家(愛媛県)まで飛行機とレンタカーを乗り継いで、お話をしに訪ねてくださったのです。瀬戸先生は私と両親に私の成績の移行をまとめた資料を見せてくださり、思うように伸びないと苦しんではいるが、着実に力をつけてきていること、このまま頑張り続ければ合格は十分に可能であると仰ってくださいました。しかし、それでも無理に帰京を勧めるようなことはされませんでした。今思えば、私を信じてくださっていたのだと思います。その後、私は両親と話し合い、結局帰省から1か月後に東京に戻りました。気持ちを新たに受験勉強の再開することを決意したのです。

もちろん、その後も気持ちのアップダウンはありました。一度帰省したことで途切れてしまった“受験生の生活リズム”を取り戻すのはなかなか大変で、気が付けば半日何もしていない日や、映画ばかり見ていた日もあったほどです。

しかし、途中入塾してきたWさんの短期決戦に燃える情熱と集中力に刺激され、また自分より年下の塾生が「今年が最後の挑戦」と強い覚悟を持ってわき目もふらずに勉強している姿を目の当たりにして、自分の覚悟の足りなさを痛感し、自分もこれではいけないと改めて気持ちを奮い立たせました。月に一度か二度、他の塾生と食事に行き、お互いの不安を吐露し鼓舞し合ったことも、私の精神面を大きく支えてくれました。このように、様々なバックグラウンドを持った受験生を受け入れている麹町メディカルであったからこそ出会えた人々との交流を通して、人間として成長できた部分も多くあります。

それでも、受験直前までトラブルは続きました。海外からの証明書の不備で、いくつかの医学部受験が絶望的な状態に追い込まれた時に、原田塾長は大学の入試課に直接交渉してくださり、ニュージーランド大使館に卒業を証明する書類を発行してもらうために奔走してくださいました。そんな中で私立医学部の入試が始まり余裕のない状態の私に、「こちらで絶対に受験できるようにするから、何も気にせず勉強に集中してください。」と言ってくださいました。

瀬戸先生は私が第一志望の大学に落ちてしまった日に眠れずに送ったメールを見て、深夜にもかかわらず電話をかけてくださいました。電話越しに泣いてしまった私に、「今諦めたらそれで今年の受験は終わってしまう。最後まで頑張りなさい。」と激励の言葉をかけてくださいました。

最後に、私の医師になりたいという気持ちを理解し、精神面と金銭面の両方で私のことを支えてくれた両親と、塾長・教室長を始めとするエコール麹町メディカルで出会った先生方、事務局の皆さん、塾生の皆さん、全ての方々に、心から感謝を述べたいと思います。これからは、OGとして皆さんと関わりを持っていきたいと思っています。

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【医学部・獣医学部合格体験談】高卒後4年半のブランクを経て 入塾後半年で複数校合格!

和多慎吾さん

【大阪府出身。私立甲陽学院高校卒。家庭の事情で高校卒業後4年半のブランクを経て、受験年度の7月にエコール麹町メディカルに入塾。日本大学医学部医学科、金沢医科大学医学部医学科最終合格。獨協医科大学医学部医学科一次合格(二次辞退)、日本医科大学医学部医学科一次合格。日本獣医生命科学大学獣医学部獣医学科、麻布大学獣医学部獣医学科(センター利用)合格。】


私は中学・高校の6年間、関西の中高一貫の有名進学校で学びましたが、卒業後は、家庭の事情で大学受験を諦めざるを得ず、家業の手伝いをして過ごしていました。家庭の事情とはいえ、進学できないことで非常に悔しい思いをしました。高校時代の友達は、東京大学や京都大学、国公私立の有名医学部などに進学しており、自分だけが取り残されているという気持ちでいっぱいでした。悶々とした気持ちのまま、気が付けば3年近い月日が流れてしまいました。

22歳の時、大切な人の相次ぐ死や、妹や友人の病気、自身の入院など、ドラマのような悲劇を連続して経験しました。そんな状況に憔悴しきっていた私ですが、亡くなったある大切な方からの言葉から勇気をもらい、今度は自分が助ける側に回るべく「医師になろう」と決意したのです。こうして、私の新しい生活が始まりました。本気で受験勉強をスタートさせることにしたのです。

宅浪から塾との出会いまで

受験勉強をスタートしてから、約2年間、私は宅浪しました。あいかわらず、家業の手伝いが必要だったからです。しかし、独学での勉強にはやはり限界がありました。受験の年の秋ごろから、科目によって成績の伸びがストップし、スランプがたびたび訪れました。その年に受けたセンター試験で目標としていた点が取れなかった時点で、私の焦りはピークに達しました。英語と生物の低迷はとくに私の焦りを増幅させていました。

藁にもすがる思いでインターネットを検索していたとき、偶然発見したのが、エコール麹町メディカルのサイトでした。そしてさっそく「慶応医学部直前講座」というものを申し込んでみました。

直前の個別指導を担当してくださった入野田先生と三宅先生の指導は、わかりやすいだけでなく、内容は驚くほど高度で、まだ教えを乞うてから間もないにも関わらず、的確に私の弱点や課題を見抜いてくださりました。原田塾長と瀬戸先生との面談は衝撃的でした。たったの30分ほど話しただけで、自分の課題が一気に整理され理解できたのです。そして、一人ひとりの受験生を親身に考えてくださる姿勢がひしひしと伝わってきました。「この先生たちは決して裏切らない」、直感的にそのように信じられることはなかなかありませんが、正しい直感でした。

8月から本科に合流

一度、大阪に帰り、半年間の学費を貯めて、次の夏から、エコール麹町メディカルでの勉強が始まりました。瀬戸先生は、一人暮らしが初めてであった私のために東京での新居をわざわざ探して下さるなど、生活面でのサポートまでして下さいました。

本科生の皆さんと合流した8月、私が最も驚いたのは、周りの塾生の勉強量の多さでした。皆が10時の授業開始から丸々一日机に向かい、集団授業や個別授業の予習復習に真面目に励んでいる姿はとても刺激になりました。さまざまなキャリアを持った個性的でありながら素直で優しい他の塾生たちと一緒に半年間勉強できたことは、私の人生において本当に大きな財産になると思います。


塾生のみならず、先生方の授業も本当に素晴らしいものでした。まず、数学でお世話になった佐藤先生は気さくな人柄で、東京にきて間もなくナーバスになっていた私によく声をかけてくださいました。授業となると培ってこられた経験を駆使して、解答を導くことだけでなく問題の本質を見抜くことの大切さやその術を本当にわかりやすく教えてくださいました。中にはある程度数学に自信を持っていた私が自身の甘さを痛感するような厳しい指導もあり、本当に素晴らしい指導であったと思います。内海先生はいつも穏やかな口調で本当に丁寧に教えてくださり、私の苦手分野を的確に補強してくださいました。河本先生は、問題そのものにとらわれず、その問題に関連した受験生が抱えやすい盲点に焦点を当てた解説をしてくださいました。おかげで、私の成績はさらに伸び、超難関校レベルでも数学は得点源だと言えるほどの自信を身に着けることができました。

不得意な英語まで得点源に

英語科の先生方も、私の課題を的確に把握し、補強してくださいました。私は受験英語が嫌いで、一人で勉強していて時はややともすれば怠りがちになっていましたが、この予備校には、私の英語に対する嫌悪感をも吹き飛ばしてくださるほどの、濃密かつ興味深い授業をなさる先生方がおられました。教室長でもある瀬戸先生はもとより、本当に気さくな人柄で人気もあり、授業中の雑談にまで英語の細やかな知識を盛り込まれる倉林先生、ネイティブ以上ではないかと思えるほどの、英語に関する圧倒的な知識量をベースとした英作文の授業をされる入野田先生、単語の成り立ちや前置詞の本質など、受験英語だけではなく語学としての英語の視点からの授業をなさり、個人的に英語に関する相談にも乗っていただいた本田先生等など、この予備校の誇る多くの先生方のおかげで、秋頃の全国模試では偏差値が74に達するなど、大きく成績を伸ばしていただきました。

理科に関しては、三宅先生に本当にお世話になりました。生物学で博士号をもち医学部でも学んでいるというバックグラウンドを存分に生かされた生物の授業は圧巻でした。医学部を受験するのならば受講されて絶対に損はないとおもいます。

原田塾長による小論文の授業も、医療倫理などの医師を目指す上で考えておかねばならないテーマを基にした塾生間でのディベートなど、小論文のみならず面接の対策も兼ねた、非常に有意義なものでした。

センター科目の指導も充実

国語や倫理といったセンター試験科目も、この予備校は充実していました。国語は柳生先生が、週一回、たった二時間という超短時間にも関わらず、魅力に富んだその人柄と授業内容で見事に私たちの古文・漢文に対する苦手意識を取り除かれましたし、倫理は哲学が専門である英語の本田先生が、一日中予備校に詰めきって、私たちの質問の対応にあたってくださることもありました。
また、事務の方々も本当に温かく接してくださいました。竹生さんには、顔をあわせる度に声をかけて頂き、細やかな気遣いをして頂きましたし、久保田さん、寺井さんは本当に優しく親切な方で、よく励まされ、和ませて頂きました。普段塾生が顔をあわせる機会が多い事務の方々が素晴らしいのも、この予備校の魅力の一つです。

また、瀬戸先生の計らいでピラティスやヨガといった、身体のケアができる講座も行われました。よく言われる通り、合否を分けるのは気力と体力です。一日中勉強ばかりになると、肩こりや体のなまりなどから勉強の効率が悪くなったり、体調を崩したりするものです。どうしても勉強ばかりになりがちな秋以降にこうしたプログラムを設定して頂けたことは、気分転換の意味も含めて大いに助かりました。他にも、航空会社の方を招いての本格的な面接対策など、塾生の医学部合格に必要な様々なカリキュラムが組まれていました。

そして、この予備校の最大の長所は、個人に合わせた受験戦略を練って頂けることです。私は医学部に関しては何の知識もなく、時には「慶応だけ受験すればいい」とも考えていました。しかし、瀬戸先生は、そんな私の考えの背景を十分に理解してくださった上で、受験の戦略的観点や人生の先輩として、私に適した他の医学部や獣医学部の受験を勧めてくださいました。どの学校を受験するかは、受験生にとっては人生を決めかねない大きな問題です。しかし、大手予備校などでは、生徒数も多く、合格実績を求められる背景もあるため、充分に個人にあわせた受験校選びができているとは思えません。

入塾して本当によかった!

私が様々な学校を受験してみてわかったことは、どんなに実力があり、模試の判定が良くても、医学部受験において、すべての受験校に合格するのは至難のわざということです。私自身、絶対的に自信を持っていた慈恵医科大学に失敗しました。しかし、しっかりした準備をし、得意科目に合わせた受験校戦略を立てれば、限りなく100%に近い確率で希望の医学部合格を果たすことは可能です。進学できる医学部は1つだけですので、それでよいのだと思います。

私は、残念ながら第1の本命としていた大学に合格することはできませんでした。しかし、この予備校に入塾したことには、微塵の後悔も感じていません。客観的に見れば、たった半年の指導で、医学部に複数校合格できたことはすごいことなんのだと思います。1年間、もしくは1年半あれば、ほんとうに慶応でも東大でも合格できる可能性と手ごたえは感じることができました。これから医学部を目指そうとおもっていらっしゃる皆さんには、とにかくこの予備校を訪問し、実際にお話を聞いてみることをお勧めします。私が、なぜこの予備校を信じて頑張ることが出来たか、すぐにわかると思います。

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2011年4月3日日曜日

【医学部合格体験談】エコール麹町メディカルと出会って1年で念願の医学部に合格!

山中翔平くん

【東京都出身。駒沢大学高校卒。J予備校に籍を置きながら、麹町メディカルの医学部受験指導を受ける。指導開始1年で帝京大学医学部、埼玉医科大学医学部に合格。東京慈恵医科大学、聖マリアンナ医科大学1次合格。その他、一般学部としては最難関の早稲田大学先進理工学部、横浜市立大学国際総合科学部合格。】


私の出身高校は大学の付属高校で、ほとんどの生徒がそのまま系列大学に進学することを希望し、外部の大学を受験するコースは一学年500名中、たったの28名。どう見ても「受験に熱心」といえる環境ではありませんでした。当時は、医学部進学のことなど考えてもおらず、ただ漠然と「理系コース」に進み、高3の秋に、某大学の理工学部に推薦入試で合格を頂きました。

しかしながら、高3の冬に起きたある出来事がきっかけで「医師になりたい」と思うようになり、「そのためには医学部に行かねばならない…しかし、辞退するわけにもいかない…」と激しく葛藤しました。同時に、そもそも自分は医学部などに合格できるのかという不安もあり、相当に悩みましたが。結局、母や祖父母の薦めと強い応援もあり、大学を休学して医学部受験に挑戦することになりました。いまから2年前の春のことです。

予備校については特に情報や知識もなかったので、現役時代から通っていて慣れ親しんでいたJ予備校の本科に籍を置き、その授業を中心に勉強していきました。毎日通学して、自習室にも通い詰め、自分なりに「これ以上はできない」というぐらいまでやりました。理科(生物・化学選択)は、やればやっただけ伸びるという実感があり、最終的な偏差値は62~3になりました。一方、英語と数学はそれぞれ60弱止まり。元々苦手だった英語はこれでもかなり伸びた時間がありましたが、数学については「一年では時間が足りない」というのが正直な感想でした。そうして迎えた一度目の受験では、私立の医学部を11校受験して、結果は聖マリアンナ医科大学医学部の二次補欠。最後まで補欠繰上合格が回ってくることなく、その年は終わってしまいました。 

初めて医受験専門指導を受ける

エコール麹町メディカルと出会ったのはちょうどこの時期、聖マリの二次繰上りはどんなペースでまわってくるものなのでしょうか…と相談したのがきっかけでした。 

医学部を志望している受験生の大半は、身内・親族に医師や医療関係者が多いようで、特に私立医学部の大学ごとの情報などに詳しい方が多い中、我が家はそうした環境ではなかったので、自分も母も、情報不足な面と、噂の域を出ない情報の真偽がわからず、ふりまわされているような状況がありました。

2年目の予備校選びも迷いました。J予備校は、幅広く大学受験全般の指導についてはなんの不満もなく、たいへんよい指導をして頂いたと思うのですが、「医学部」について特化した情報や指導方法がありませんでした。だから、エコール麹町メディカルの情報量、医学部受験の指導経験の豊富さにはたいへん驚きました。また、医学部の赤本がずらりと並んでおり、予想対策問題なども大量に用意されている環境にも圧倒されました。

塾長の原田先生、教室長の瀬戸先生にお話しを伺い、「医学部がどんなに難しいと言えども、所詮は大学受験のひとつである」「とはいえ、私立大学の出題は大学ごとに大きく異なるので、プロの分析をうまく活用して、効率よく『対策』を行わなければ、ぜっかくの学力も生きてこない」また「自分ができたつもりになっていても出来ていないところは実はたくさんある」といった指導を頂き、何をどうとらえて勉強していけばよいのか、最終合格に至るためにはなにが大切なのかを知ることができました。

「医学部はあきらめて休学していた大学に戻る」か、「もう一度だけチャレンジするか」を決めかねていた私と母は、二人で何度もエコール麹町メディカルに足を運び、母と私がそれぞれ別々に何度も相談に乗って頂きました。原田先生から頂く回答、アドバイスはことごとく的確であり、自分も母も「その通りだ」と思うことばかりでした。そして、エコール麹町メディカルでの二度目の医学部受験を決心しました。

ほんとうは、できれば本科に在籍したかったのですが、Jでは学費が免除になったので、引き続きJ予備校に籍を置き、麹町メディカルの単科生として勉強を進めていくこととなりました。

麹町メディカルのゼミの威力は絶大だった!

得意科目の理科については、引き続きJ予備校の授業で十分だろうと考え、同じ授業を受け続けました。J予備校では、生物のクラスが「難関」と「レギュラー」に分かれているのですが、そのレベルは「その年の受講メンバーのレベル」によって変動してしまいます。自分以外の受講生には医学部志望の人はおらず、こう言ってはなんですが、お世辞にも「難関」と呼べるレベルではありませんでした。医学部受験の生物は、大学によって「高校での履修範囲を大きく上回る」かなり専門的な出題がされることも多く、「このままでは太刀打ちできない」と感じ、麹町メディカルの本科ゼミを受講することにしました。

三宅先生の講義は、率直いって「すごくハイレベル」です。Jの難関クラスでは、聞いたことすらないターム(専門用語)がたくさん出てきました。難しすぎる…と感じたこともありました。しかしながら、これこそが医学部受験の生物だったのです。実際、本番でどんなに難しい問題が出ても、マニアックな問題がでても、「あ、これは授業でやった問題だ」と余裕をもって取り組むことができましたし、普通の問題に至っては「簡単だな」と思いながら解くことができたのです。

ちなみに、正規合格を頂いた埼玉医科大学の面接試験では、「途中で予備校を変わったようだけど、その理由は?」と聞かれ、「医学部レベルの生物の授業を受けたかったからです」と答えたところ、「一般の学部の生物と、医学部の生物では、どう違うと思う?」と聞かれ、自分なりの考えを述べたところ、「なるほどね」と肯いて下さったということもありました。

受験戦略を振り返って

最初、原田塾長からは「一年目で、医学部の専門指導もない中で一次合格を出せたのだから、二年目は私立の難関校、国公立まで視野に入れた勉強をしてはどうか」というアドバイスを受けました。これは、「もう後がない」自分に対して、万が一医学部がだめだった場合でも、国公立の他学部上位校に進学できるという戦略も考えて下さってのことでした。

医学部は私立で決めようという覚悟ができていたので、先生にも相談し、当初のリスクヘッジ計画通り、「国公立他学部で滑り止めを確保しよう」ということで、前期は横浜市立に出願。後期だけは、一発逆転(笑)を狙って、岐阜大に出願しました。(ちなみに後期試験前日に、東日本大震災が発生。私はなんとか受験だけはしてきましたが、かなりの人数が欠席していたように見えました。)

さて、私立医学部の入試結果です。まずはじめの杏林、東邦ではかなり大きな手ごたえがあり、入試会場から出たところで配られている某予備校の「解答速報」と照らしてもやはり手ごたえがあったので「絶対に受かった!」と思っていたのに、結果は一次不合格でした。さすがに少し凹みましたが、「この後、まだたくさんあるし、大丈夫」と思い直して試験を進めていたところ、「翌日から入試6連荘」という日に大風邪をひいて38℃の熱を出してしまいました。

よりによって、発熱の初日が、昨年一次合格していた「聖マリ」。去年受かったのに今年落ちるわけにはいかないというプレッシャーと、発熱による朦朧とした意識の中で受験しましたが、なんとか一次合格をとりました。(しかし、今年も二次試験はだめでした。)

翌日の慈恵入試日にも、熱は下がらず、しかも数学がとても難しく、おそらく20~30点の得点ではないかという出来…。しかし、理科と英語はいつも通りに戦えた結果、まさかの一次合格。こちらも二次合格は来なかったのですが、発熱の中で受験した大学の学科試験では、意外にもよい結果が続きました。

ところで、慈恵入試の晩になっても熱が下がらず、起きているのもつらいような状態になってしまいました。翌日には帝京大学の入試が控えていました。帝京では、その日のうちに面接試験が行われるため、そこでの内容について、原田塾長と電話相談する約束をしていました。しかし、あまりの体調の悪さに弱気になってしまい、「明日の帝京受験はやめようと思うのですが…」と相談しました。その時点では、まだ一次合格が一つも出ていない段階でした。

塾長は、「どんなにしんどくても、這ってでも受験してきなさい」とおっしゃいました。「発熱に対しては、別室受験の制度もあるので申し出てお願いしてみなさい」というアドバイスも頂きました。私も母も、そんな制度があるとも知らなかったのですが、それを聞いて安心し、翌日はアドバイス通りに申し出たところ、別室に案内して頂くことができ、個室で、二人の試験官に囲まれて、一人で受験するという環境に恵まれ(?)ました。結果として、帝京大学に進学することになったわけですから、塾長に相談して本当によかったと感謝しています。

なお、その後の入試 ― 東京医科大、日大、埼玉医科大(後期)、慶応の入試では、埼玉医科大の後期入試でのみ、最終(正規)合格を頂きました。後期入試といえば、倍率も高く、受けても無駄…という思いがありましたが、しっかり結果が出るものなんだなと、我ながら驚きました。

結果として4つの私立医学部に一次合格を頂き、その内2つに最終合格。昨春、原田塾長のおっしゃったとおり、「複数合格」を果たすことができました。二次試験での「面接」については、今年は、エコール麹町メディカルで相当な特訓をして頂きました。今年は、他の塾生のみなさんと一緒に、また、個人的な受け答えの部分についてはマンツーマンで、何度も、じっくり練習をして頂きました。この練習がなえれば、二次最終合格はありえなかったと思います。本当にありがとうございます。

最後に、医学部ではありませんが、早稲田と横浜市立の二次試験の感想について、少し述べておこうと思います。早稲田の先進理工学部は最難関ということもあり、一般学部の受験指導がメインのJ予備校では、むしろこちらをかなり喜ばれました。正直にいうと、早稲田の試験は、医学部を目指して勉強していた自分にとっては、簡単、余裕なものでした。英語は少し難しかったですが、おそらく受験者全員にとって難しいので差がつきません。理数科目については、実をいうと半分の時間は寝ていたくらいです。

一方、横浜市立のほうは、素直に難しいと感じました。やはり、さすは国公立です。ただ、理科については、聖マリの化学の論述対策などをやっていたので、そこに肉付けしていく形で(書かせる分量が圧倒的に多いので)太刀打ちできました。数学は、王道と言う感じの易しい問題でした。こちらも先生のアドバイス通りに受けて合格を頂きました。

念願の医学部への合格は、精神的にも、また学費の面でも、傍らでいつも応援してくれた母が本当によろこんでくれたのが何よりうれしかったです。