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2011年9月11日日曜日

シノザキ総合音楽院/シノザキロゴスアカデミー情報誌 平成23年9月号「人と出逢い、音と出逢う」掲載

夏休みも終わり、受験生は本格的な受験準備に追われる時期となってきました。季節は、「読書の秋」などとも言われるように、1年でもっとも勉強に適している時期だと思います。もしかしたら、音楽の練習も同じかも知れませんね。…そういえば、「芸術の秋」という言葉もありました。

さて、勉強や読書のために、ひとり秋の夜長を過ごすのも一手かと思いますが、ここは一つ、誰かと「読んだこと」「学んだこと」を共有してみるのはいかがでしょうか。自分が理解したことを人に話し、意見をもらうのです。自分が読んで理解したことを、できればあまり時間を空けずに、身近な人に話してみるのが良いとでしょう。ていねいに、そして、話した相手がよく理解できるように、です。

とかく自分ひとりで学んだことというのは、誤りやすく、文字通り「独りよがり」になりがちです。自分が読書や勉強によって理解したことを人に話し、意見をもらうのは、少なくとも以下のメリットがあります。

1. 自分以外の人に説明するために、思考や情報を整理することにつながる。
2. わかりやすく説明するために、複雑な情報を単純化することにつながる。
3. 自分が真に理解できていないところ、わからないところに気が付くことができる。
4. 言葉による情報発信力を鍛えることにつながる。
5. 相手から意見をもらうことにより、自分の誤りや理解していない点を発見できる。

勉強や読書のムダというのは、あまり語られることのないテーマです。勉強も読書も、基本的には良いことに決まっているからでしょうか。しかし、だからこそ、注意深く、忘れないようにしておく必要があると思います。本や教科書などから情報として理解した知識のことを「記述による知識(Knowledge by Description)」と言いますが、こういった知識は、車の運転の仕方を知っていることなどの「身体知(Know How)」や、直接見て知っている知識「面識による知識(Knowledge by Acquaintance)」と比べて、かなり忘れやすく身に付きにくいものです。大人の方なら誰でもわかると思いますが、高校の世界史で勉強した「キリスト教公会議の回数」や年号などは、テスト勉強したその日にしか効力を持っていない知識です。

だから、学校の勉強や読書は意味がない、ということではありません。せっかく勉強したことを、「ムダ」にしないためには工夫と心がけが必要だということなのです。その工夫とはなにか。勉強や読書で得られる知識を実際に「使うこと」を意識することです。使うことを意識して覚えることは、身体で覚えることに似ています。自転車の運転(の知識)は、一度覚えれば忘れないでしょう。ポイントは、学んだことを、身体知のようなものに近付けていく心がけです。

使うことで一番手軽なのは、「人におしえること」です。そう!ここで、読書や勉強によって理解したことを人に話すもうひとつのメリットがわかります。

6. 人に説明することを意識して読むことにより、知識を忘れにくいものにできる。

皆さんも、ぜひ実践してみてください。

エコール麹町メディカル塾長
原田 広幸

2010年12月15日水曜日

シノザキ総合音楽院/シノザキロゴスアカデミー情報誌 平成22年12月号「人と出逢い、音と出逢う」掲載

いよいよ受験シーズンとなりました。大学入試センター試験まで1カ月、今まで頑張ってきた人も、後れをとっていた人も、みな一番勉強に集中し、そして学力が伸びる時期です。「落ちるかもしれない」というプレッシャーの中、自分のすべての力を勉強に向けて、頑張る。この苦しくも充実した時期を体験できる受験生は幸せです。たった数カ月の経験にすぎないかもしれませんが、この間に覚えたこと、考えたこと、感じたことは、その後の人生の様々な場面で、必ず役に立つ時が来ます。

私の高校時代は、吹奏楽の部活に明け暮れた3年間でした。高3の最後のコンクールが終わり、受験勉強をようやく本気ではじめたのは10月終わり頃でした。指定校推薦で上智大学への推薦入試を受けることになり、12月には受験勉強を終え、好きな本でも読もうかと考えていました。結果は予想もしなかった不合格。指定校推薦で不合格とは、担任だった佐藤先生(前真岡市教育長)も驚かれていました。相当不出来だったのだと思います。12月からは、死に物狂いの受験勉強を再開しました。結果は、国公立大学二つに合格できたものの、私立は受けた6校すべてが不合格。どうしても東京に行きたかった私は、浪人することを決めました。

とにかくも、この時期、とくに12月から2月28日の早稲田大学第一文学部の試験までは、これ以上ないくらいに勉強しました。3月1日の卒業式に間に合うように真岡に戻ってきましたが、勉強癖がついて卒業式に集中できなかったのを覚えています。この時期の勉強量と集中度は、いまでも何かの仕事や勉強をするときの「目安」になっています。「これくらいならまだまだ頑張れるな」など、自分の知的体力が実感として分かるようになりました。

たった3ヶ月で何とか必要な知識をつけようと、あせりながらも工夫し集中して取り組んだことによって、その後の勉強法のひな形が確立できました。その間に読んだ現代文や英文、論文試験のために読んだ本によって、学問の魅力も分かるようになりました。外面的には自伝に書くような出来事は一つも起きませんでしたが、内面的には劇的な変化と成長を経験できたのです。これらは、とても大きな収穫でした。

さて、多くの方々に支えられながら、私たちのアカデミーが開校して今月で9ヵ月になりました。アカデミーでの勉強は他と違わず地味なルーティンでしたが、この9ヵ月は、周囲の人々の見た目には決して分からない大きな変化が起こりました。渦中にいるときは気がつかないが、20年を過ぎたころ振り返ると、線となって繋がっているのがわかるような、そんな地味で劇的な変化です。「生きる力」とか何とか、抽象的なスローガンが叫ばれている昨今の教育界ですが、こんな地味で目立たない経験が、力になりうることをみなが思い出すべきだと思うのです。少なくとも、私たち講師一同は、そのような力の獲得をお土産にしてもらえるよう、真剣に教えています。

新年も、生徒の貴重な体験をご支援くださりますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

エコール麹町メディカル塾長
原田 広幸

2010年11月8日月曜日

シノザキ総合音楽院/シノザキロゴスアカデミー情報誌 平成22年11月号「人と出逢い、音と出逢う」掲載

今年2010年は「国民読書年」だそうです。これは、2年前に国会で決議された「国民読書年に関する決議」において定められました。その決議には、「読書の街づくりの広がりや様々な読書に関する市民活動の活性化など、読書への国民の意識を高めるため政官民が協力し、国をあげてあらゆる努力を重ねる」と宣言されています。国をあげて努力がされているかどうかはともかく、読書離れがすすんでいる日本人が本を読むことの大切さに気づくようになるならば、それは大変歓迎すべきことでしょう。

寺山修司の『本を捨てよ、町へ出よう』が出版されたのが1967年だそうですが、その当時は大学紛争・全共闘の時代、知的エリートたちに「本を捨てよ」と本で呼びかける必要があった時代でした。さて、現代はどうでしょうか。頭でっかちなガリベン君にかける言葉は「本を捨てよ」ではなくなりました。むしろ「本でも読みなさい」でしょう。知的なもののシンボルは本からインターネットへと移り変わり、読書ですらキンドルやiPadといったコンピューター上のディバイスによって行なう時代になりました。

読書は人間の知的活動における最も基礎的な作業です。本は、主観的で幅の狭い実体験以外の世界に触れることを通じて、客観的で幅の広い経験をすることが出来る場所です。読書の形態が、紙でできた書籍からパソコンの画面上のデータに変わっても、この本の役割は変わりません。現代の日本人は、昔に比べて読書はしなくなったかも知れませんが、活字を読む分量はそれほど減っていないような気がします。何が違うかと言えば、それは濃厚な読書体験の多寡でしょう。現代の私たちは、たくさんの情報を読んでいるわけですが、圧倒的な言葉の魅力に触れる体験というのは、無くなって来てはいないでしょうか。

読書やその本の中の言葉は、情報伝達の手段であると同時に、それ自体を目的として行なう一つの経験です。溢れ返る言葉による情報は、言葉や読書の価値を相対的に薄めてしまい、その結果、言葉による知的活動の重要性を貶めてしまっているように思われます。国民読書年もあと2カ月で終わります。一人でも多くの国民が、単なる情報ではない読書の経験が出来るか、それは、その人の生き方に影響を与えるような良書に巡り会えるかどうかにかかっています。本との出逢いは、人との出逢いと同じくらい大切なことかもしれません。良い本は、人から勧めてもらうのがよいでしょう。音楽も読書も「人との出逢い」から始まります。

エコール麹町メディカル塾長/シノザキロゴスアカデミー(真岡教室)室長 
原田 広幸

2010年6月6日日曜日

真岡高校吹奏楽部定期演奏会

本日、6月6日日曜日、塾長とともに、栃木県の真岡市民会館まで行ってきました。

エコール麹町メディカルの真岡校でもある「シノザキロゴスアカデミー」の塾生さんたちが所属する、真岡高校吹奏楽部第45回定期演奏会を鑑賞するためです。

真岡高校は、栃木県下では宇都宮高校に次ぐ男子校の進学校。創立110周年をむかえた伝統高で、高い進学実績のみならず、全国大会常連のサッカーの強豪校としても有名です。

吹奏楽部も全国大会優勝経験があるレベルで、まさに「文武両道」の高校なんですね。
 

第一部は、コンクールで演奏した正統派の曲、第二部は、おたのしみコーナーとしてAKB48のナンバーをダンスを交えて披露(男子校です・・・)、第三部は、OBのみなさんもまじえて再び本格的な演奏・・・と、メリハリがあってあっという間の2時間。顧問で指揮者でいらっしゃる先生が、今年で定年退職を迎えられるそうで、途中、ホロリとさせられる場面もありました。

会場の大ホールが満席で、立ち見&階段に座って鑑賞するという大盛況。終演後のロビーはこんな感じ↓

ホール出口正面は楽屋口とも隣接しており、女子高生やお母様たちの「出待ち」も現れるほどの人気ぶり(?)


観客は、老若男女、ほんとうにいろいろな方が集まっているという雰囲気で、地域でとてもたのしみにされているイベントなのだろうなあと感じました。

塾生の2人の演奏もダンスも(笑)バッチリきまっておりました。ここ数週間は、部活が忙しくて勉強もたいへんそうでしたが、これで一区切り、再び勉強に力を入れてくれることと思います。


「文武両道」 言うは易く行うは難し。

受験指導を生業としている我々がいうのはなんですが、勉強だけやっていれば、現役合格するのはあたりまえです。

受験勉強以外の、高校時代にしかできない活動・経験を犠牲にすることなく、敢えて厳しい道を選び進むその勇気と実行力こそが、勉強の原動力になるはず。

もちろん、リスクはあります。

要領のよさや体力などに左右される部分もおおく、個人差も大きい。(あの子にはできて、この子にはできない・・・ということは多々あります。)

しかし、高校生から、部活や課外活動をとりあげることなく、少ない時間での勉強に最大限の効率をあたえ、志望校合格に導くことこそ、われわれ民間教育機関の使命ではないかと考えています。

(Seto)